【危険な思考】その「キャリア志向」、あなたを幸せから遠ざける呪いかもしれません

この記事は約3分で読めます。

【この記事はこんな方に向けて書いています】

  • 「キャリアアップ」という言葉に、正直もう疲れてしまった方
  • 昇進やスキルアップが、本当に自分の幸せなのか疑問に感じ始めた方
  • 「市場価値」という言葉に、常にプレッシャーを感じている方
  • 仕事一筋の生き方に、ふと虚しさや不安を覚えることがある方

スキルアップ、昇進、専門性の確立、より良い条件での転職…。『キャリア志向』を持つことは、現代を生きる私たちにとって、まるで当たり前の美徳であるかのように語られます。キャリアプランを立て、自分の市場価値を高める努力をしなければ、まるで社会人として失格であるかのような空気さえあります。

しかし、その輝かしい言葉の裏で、私たちは何か決定的に大切なものを見失ってはいないでしょうか。そのキャリアという名の、誰かが敷いたレールの上をひた走ることで、自分自身の心を置き去りにしてはいないでしょうか。もしかしたら、その「キャリア志向」こそが、あなたを本当の幸せから遠ざけている、巧妙で厄介な「呪い」の正体なのかもしれません。今回は、この神聖化されたキャリアという概念に、あえて疑問を投げかけてみます。

「会社」という神に仕える人生の危うさ

キャリアアップを目指すこと、それ自体が悪いわけではありません。しかし、その根底にあるのが「会社や社会の評価軸」であるなら、話は別です。

「部長になる」「年収1000万円を超える」「有名企業に所属する」。これらは全て、あなたの外側にある、誰かが作った評価指標です。その指標を追い求めるということは、自分の価値判断を、そして幸福のハンドルを、会社という他人に明け渡しているのと同じこと。

会社の業績が悪くなれば、あなたの価値も下がるのですか。組織再編でポストがなくなれば、あなたのアイデンティティは崩壊するのですか。そんな脆い土台の上に、自分の人生を築くことが、どれほど危険なことか。国際的な調査で、日本の従業員の「働きがい」や「エンゲージメント」が世界的に見ても低い水準にあるのは、こうした「やらされ感」のあるキャリア追求と無関係ではないはずです。

「市場価値」という終わらない地獄

キャリア志向の人が好んで使う言葉に「市場価値」があります。しかし、これは聞こえがいいだけで、実態は「労働市場における、あなたの値段」に過ぎません。

この価値観に囚われた瞬間、あなたは終わりなき競争のレースに参加させられます。常に他人と比較され、新しいスキルを追い求め、いつ「価値のない人間」と判断されるかという恐怖に怯えることになる。それは、自分自身のための学びや成長ではなく、市場から評価されるための、つまり「高く売れる」ための労働です。

そのレースの先に、本当の安らぎはあるのでしょうか。本来、仕事とは「誰かの役に立つ」「楽しい」「面白い」といった内面的な喜びが伴うはずです。市場価値ばかりを気にするあまり、そうした根源的な感情を忘れ、ただスペックを上げるだけの機械になっていませんか。

「キャリア」の呪いを解き、自分の人生を取り戻す

では、どうすればいいのか。キャリアを捨てて、無気力に生きろと言いたいわけでは、もちろんありません。

提案したいのは、キャリアを「人生の目的」から「人生を豊かにするための一つの道具」へと、その位置づけを変えることです。あなたの人生は、仕事だけで成り立っているわけではない。素晴らしい友人、愛する家族、夢中になれる趣味、地域との関わり。そうした様々な要素で構成されるポートフォリオの一部として、キャリアを捉え直すのです。

会社の物差しではなく、自分自身の物差しを持つこと。仕事で評価されなくても、自分には別の価値がある。そう思える「心の安全基地」を、仕事以外の場所にいくつも作っておくこと。それが、キャリアという呪いを解く唯一の方法です。キャリアプランを考える前に、まずはあなたの人生プランを考えてください。その人生を豊かにするために、仕事という道具をどう使っていくのか。順番を間違えてはいけません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました