
【この記事はこんな方に向けて書いています】
- 「好きなことを仕事にすれば、人生は輝く」と信じている方
- 趣味や特技を仕事にしようと考えている方
- 今の仕事が「好き」だからこそ、過剰に頑張りすぎてしまう方
- 「好き」を仕事にした結果、理想と現実のギャップに苦しんでいる方
(薄暗い部屋。一人の人物が、静かにカメラを見つめて語り始める)
どうも。 今日は、「好きなことを仕事にする」という、誰もが憧れるキラキラした言葉の裏に隠された、残酷な罠についてお話しします。
これは、理想論でも、どこかの誰かの話でもありません。 かつて「好き」を仕事にした結果、心身を壊し、人間関係も、自信も、そして、あれほど大切だった「好き」という感情さえも失った、僕自身の物語です。
もしあなたが今、同じ夢を追いかけているなら…僕の二の舞にならないために、どうか最後まで、この懺悔を聞いてください。
「好き」が「義務」に変わった瞬間、地獄が始まった
僕にもあったんです。 寝る間も惜しんで没頭できる、人生を懸けてもいいと思えるほど大好きなことが。
それを仕事にできたときの高揚感は、今でも忘れられません。 「これで毎日、好きなことだけして生きていけるんだ!」 本気でそう思っていました。でも、それは地獄の始まりでした。
全てが狂い始めたのは、「好き」という自分のための感情が、「仕事」という他人のための義務に変わった瞬間です。
趣味だった頃は、100%、自分の裁量で楽しめた。 でも、仕事になった途端、そこには「納期」が生まれ、「クライアントの要求」が突き刺さり、「売上」という数字が重くのしかかってくる。
「好きだからこそ、細部までこだわりたい」 「好きだからこそ、中途半半端なものは作れない」
この純粋な気持ちが、自分自身の首を絞め始めるんです。他人の評価に一喜一憂し、自分の「好き」が汚されていくような感覚。楽しかったはずの行為が、ただの苦痛に変わっていくのに、そう時間はかかりませんでした。
24時間仕事モードという、終わらない拷問
そして、これが一番危険でした。 好きなことを仕事にすると、オンとオフの境界線が、完全に溶けてなくなるんです。
休日も、友達と食事しているときも、ベッドに入ってからも…四六時中、頭の中は仕事のことばかり。インプットのため、勉強のため、と自分に言い訳をしながら、プライベートな時間のすべてを「好き」という名の仕事に捧げてしまう。
恐ろしいのは、これが「好き」という自発的な感情にカモフラージュされているため、自分が無理をしていることに全く気づけないことです。
いわゆる過労死ラインと言われる時間外労働、月80時間。 「好き」を仕事にすると、このラインを自ら、喜んで、軽々と超えていってしまう。アドレナリンが出ているうちはいい。でも、人間の心と体は、そんな状態に耐えられるほど強くはできていませんでした。
「好き」を失い、僕には何も残らなかった
そして、ある朝。 本当に、ぷつん、と音を立てるように、僕の中で何かが切れました。
あれほど大好きだったものが、もう見たくもない。 むしろ、憎しみに近い感情すら湧いてくる。 僕の心を支えていた唯一の柱が、ガラガラと崩れ落ちた瞬間でした。
そして気づくんです。 僕は、「好き」という一本足打法で生きてきた。 その分野でしか戦えない。稼げる普遍的なスキルも、潰しのきく経験も、何も積んでこなかった。
その結果、どうなったか。 仕事も失い、生きるための唯一の武器だった「好き」という感情も失い…僕には、文字通り、何も残らなかったんです。 あれは、本当の絶望でした。
誤解しないでください。 僕は「好きなことを仕事にするな」と言いたいわけじゃありません。
僕が伝えたいのは、「『好き』という感情だけに、あなたの人生を依存させるな」ということです。
もし「好き」を仕事にするなら、それを客観的に分析し、ビジネスとして成立させる「プロの視点」と、いつでもこの世界から逃げられるように、全く別の「稼げるスキル」を、必ず用意しておくべきです。
あなたの「好き」は、あなたを幸せにするための大切な宝物のはずです。 仕事によって、その宝物を殺してしまわないでください。
これが、すべてを失った僕からの、唯一のお願いです。
コメント