
【この記事はこんな方に向けて書いています】
・「いつか起業したい」と長年思い描いているが、一歩を踏み出せない方
・友人や同僚が起業するのを見て、焦りや羨ましさを感じている方
・起業の願望と実行の間にある「壁」の正体を、論理的に理解したい方
・夢物語で終わらせず、具体的な行動に移すための思考法を知りたい方
・日本の起業環境について、データに基づいた客観的な事実を知りたい方
「いつか自分の会社を立ち上げたい」「このアイデアなら成功するはずだ」。多くのビジネスパーソンが、一度はそんな情熱的な思いを抱いたことがあるのではないでしょうか。しかし、その熱い思いを胸に抱きながらも、実際に起業というアクションを起こす人は、驚くほど少ないのが現実です。あなたの周りにも「起業したい」と語る人はいても、実際に社長になった人は何人いるでしょうか?
この記事では、数々の事業計画を分析してきたコンサルタントの視点から、この「願望」と「実行」の間に横たわる巨大な溝を、公的なデータを基に可視化します。なぜ多くの人が夢を語るだけで終わってしまうのか、その構造的な原因を「3つの壁」として分析。さらに、その壁を乗り越え「実行する1割」の人々に共通する思考と行動のフレームワークを提示します。この記事を読み終える頃には、あなたは自身が今どの地点にいるのかを客観的に把握し、次の一歩を踏み出すための具体的な羅針盤を手にしているはずです。
結論:データが示す「願望」と「実行」の巨大な溝
まず、このテーマにおける最も重要な問い、「起業したいと言う人のうち、実際に起業する割合はどのくらいか?」に、データを用いてお答えします。残念ながら、この問いに直接答える単一の統計は存在しません。しかし、複数の公的データを組み合わせることで、その実態を「起業家へのファネル(漏斗)」として構造的に可視化することができます。
【起業家へのファネル:願望から実行までの絞り込み】
- 起業関心層(約1,500万人) 中小企業庁の「中小企業白書」によると、日本国内には約1,500万人の「起業関心層」(起業に興味・関心を持つ人々)が存在すると推計されています。これは日本の生産年齢人口の約20%に相当する、非常に大きな母集団です。
- 起業希望者(約410万人) このうち、具体的な起業希望を持つ人は約410万人とされています。関心層のうち、約73%がこの段階で脱落し、「興味はあるけれど、具体的には考えていない」という層になります。
- 起業準備者(約110万人) さらに、事業計画の作成や資金調達など、具体的な準備行動に移している「起業準備者」は、約110万人まで減少します。起業希望者のうち、実に約73%が具体的な準備に着手できずに、この段階で足踏みしています。
- 創業者(年間約30万人) そして、最終的に1年以内に新たに事業を立ち上げた「創業者」の数は、約30万人です。これは、起業準備者の中でも約72%が、準備段階から実際の創業には至っていないことを示唆しています。
このファネルを俯瞰すると、最初の「起業に関心がある」と答えた1,500万人のうち、実際に1年以内に創業までたどり着くのはわずか30万人。割合にしてわずか2%です。「いつか起業したい」という言葉がいかに実現の難しいものであるか、この数字が雄弁に物語っています。
なぜ多くの人は「準備段階」で止まってしまうのか?3つの壁
なぜこれほど多くの人が、夢への一歩を踏み出せずにいるのでしょうか。その原因は、個人の意欲や能力の問題だけでなく、多くの人が共通して直面する構造的な「壁」にあります。ここでは、その正体を3つに分解して分析します。
第1の壁:知識・スキルの壁
日本政策金融公庫の「2022年度新規開業実態調査」によると、起業関心者が起業を断念する理由として、常に上位に挙がるのが「自己の知識・能力に自信がなかった」という項目です。
・「経営に関する知識が体系的にない」
・「営業やマーケティングの経験がない」
・「経理や法務なんて、全く分からない」
多くの人は、起業には全方位的な知識とスキルが必要だと考え、その完璧な状態を目指そうとします。しかし、ビジネスに必要なすべての知識を事前に網羅することは不可能です。この「完璧主義」が、行動を起こす前の段階で、大きなブレーキとなってしまうのです。
第2の壁:資金の壁
同調査では、「資金調達に不安があった」も常に上位を占める理由です。起業には自己資金がある程度必要だというイメージが先行し、多くの人が行動をためらいます。
事実、同調査における開業時の平均資金調達額は1,275万円、そのうち自己資金の平均は288万円となっています。この数字だけを見ると、数百万円単位の自己資金がなければ起業できないように感じてしまうかもしれません。しかし、これはあくまで平均値です。実際には、資金100万円未満で開業する人も全体の10%以上存在します。この「平均値の呪縛」が、スモールスタートという選択肢を見えづらくさせているのです。
第3の壁:マインド・リスクの壁
これが最も根深く、本質的な壁と言えるかもしれません。それは、失敗に対する恐れと、安定を失うことへの不安です。
・失敗への恐れ:世界各国の起業家活動を調査する「グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)」の2022/2023年調査によると、日本の「失敗に対する恐れ」のスコアは先進国の中でも特に高い水準にあります。一度失敗すると再起が難しいという社会的な雰囲気や、周囲からの評価を気にする文化が、挑戦への大きな心理的障壁となっています。
・安定の喪失:現在の安定した収入、社会的地位、福利厚生などを手放すことへの抵抗感は、年齢を重ねるほど強くなります。「今の会社にいれば、少なくとも生活は保証される」という現状維持バイアスが、不確実な未来へ飛び込む勇気を奪います。
「実行する1割」に共通する思考と行動のフレームワーク
では、これらの壁を乗り越え、実際に事業を立ち上げる人々は、一体何が違うのでしょうか。彼らは特別な才能や潤沢な資金を持っているわけではありません。彼らに共通しているのは、物事の捉え方と行動の仕方を規定する、ある種の「フレームワーク」です。
フレームワーク1:「完璧」ではなく「検証」を目的とする
実行する人々は、最初から100点満点の事業計画を目指しません。彼らの目的は、壮大な計画を立てることではなく、「自分のアイデアが、本当にお金を払う価値のあるものなのか」を最小限のコストで検証する(Test)ことにあります。これは、リーンスタートアップで言う「MVP(Minimum Viable Product)」の考え方です。いきなり店舗を構えるのではなく、まずは週末だけマルシェで販売してみる。大規模なシステム開発をする前に、手作業でサービスを提供してみる。この思考が、「知識・スキルの壁」と「資金の壁」を同時に低くします。
フレームワーク2:「学習」してからではなく「学習」するために行動する
彼らは、必要な知識をすべてインプットしてから行動するのではなく、行動しながら必要な知識を学習(Learn by Doing)します。本を10冊読むよりも、まずは見込み顧客1人に話を聞きに行く。市場調査レポートを読み込むよりも、まずはSNSでテストマーケティングをしてみる。行動から得られる一次情報とフィードバックこそが、最も価値のある学びだと知っているのです。
フレームワーク3:「リスク回避」ではなく「リスクの管理」を行う
起業家は、リスクを無視する無謀な挑戦者ではありません。むしろ、リスクに対して非常に自覚的な「リスクマネージャー」です。彼らは「失敗したらどうしよう」と漠然と悩む代わりに、「許容できる損失(Affordable Loss)」を具体的に定義します。「この事業に投下できる時間の上限は1年」「失っても生活が破綻しない資金は100万円まで」といった形で、撤退ラインをあらかじめ設定するのです。これにより、失敗が人生の終わりではなく、次への学びであると捉えることが可能になります。
【思考の比較:9割の希望者 vs 1割の実行者】
項目 | 「いつか」と考える9割の思考 | 「いま」実行する1割の思考 |
計画 | 完璧な計画がなければ動けない | まずは仮説を立て、検証のために動く |
資金 | 数百万円ないと始められない | 最小限のコストで始める方法を探す |
知識 | 全てを学んでからでないと不安 | 行動しながら、必要なことを学ぶ |
リスク | 失敗の可能性を恐れ、動かない | 許容できる損失を決め、その範囲で動く |
あなたはどちら側にいる?自己診断と次の一歩
さて、ここまで読んだあなたは、自分がファネルのどの段階にいて、どの壁の前で立ち止まっているか、少し見えてきたのではないでしょうか。最後に、あなたが「実行する1割」へとシフトするための、具体的な自己診断と次の一歩を提示します。
【3つの自己診断クエスチョン】
- 顧客解像度:あなたのアイデアにお金を払ってくれるであろう「最初の顧客1人」の顔を、具体的に想像できますか?その人はどんな悩みを抱えていますか?
- 最小コスト:あなたのアイデアの価値を検証するために必要な「最小限のコストと時間」はどれくらいですか?それは、今の生活を続けながら捻出可能ですか?
- 撤退ライン:もし挑戦がうまくいかなかった場合、いつ、どのような状態になったら、一度撤退または方針転換するという基準を持っていますか?
もし、これらの問いに一つも答えられないのであれば、あなたはまだ「起業希望者」の段階にいるのかもしれません。しかし、落ち込む必要は全くありません。
あなたの次の一歩は、壮大な事業計画書を書くことではありません。「いつか」を「今日」に変える、ごく小さなアクションです。例えば、「今週末、自分のアイデアに近いサービスを使っている友人に30分だけ話を聞かせてもらう」といった、具体的な行動をスケジュール帳に書き込んでみてください。
起業という道のりは、ある日突然ジャンプするものではありません。「願望」と「実行」の溝を埋めるのは、このような小さな検証と学習の積み重ねなのです。
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