「野心なんて面倒」そう思ってるあなた、人生から一番大事なものを捨ててますよ?

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【この記事はこんな方に向けて書いています】

  • 大きな夢や目標が見つからず、少し焦りを感じている方
  • 「そこそこの人生で満足」と、自分に言い聞かせている方
  • 野心を持つことに、どこか気恥ずかしさや疲れを感じている方
  • ギラギラした成功物語に、正直ついていけないと思っている方

「出世したい」「金持ちになりたい」「有名になりたい」。そんなギラギラした『野心』は、なんだか時代遅れで、少しダサい。身の丈に合った暮らし、小さな幸せを大切にすることが、賢い生き方なのだと。あなたも、そう感じていませんか。

確かに、かつての物語のように、すべてを犠牲にして頂点を目指す生き方だけが正解ではないでしょう。しかし、その「野心なんていらない」という風潮に安住することで、私たちが何を失っているのか、一度真剣に考えてみる必要があります。それは、単に大きな成功を諦める、という話ではありません。もっと根源的で、人生の質そのものに関わる、決定的な何かを放棄することに繋がっているのかもしれないのです。今回は、この「野心」の正体と、それを捨てることの本当のリスクについて、厳しく切り込んでいきます。

その「野心」、勘違いしていませんか?

まず、はっきりさせておきたい。多くの人が「野心」という言葉でイメージするのは、他人を蹴落としてのし上がる出世欲や、際限のない金銭欲かもしれません。しかし、それは野心のごく一部、それもかなり歪んだ側面でしかありません。

私がここで語りたい野心の本質とは、「現状を良しとせず、自分の意志で何かをより良くしようとする内的な衝動」そのものです。それは、他人の評価や社会的な成功指標とは関係がない。昨日より上手く絵が描きたい。理不尽な会社のルールを少しでも変えたい。家族にもっと美味しい料理を作ってあげたい。この退屈な日常に、一つでも面白いと思える瞬間を増やしたい。そのすべてが、紛れもない立派な「野心」なんです。

野心を捨てた人間に待つ「緩やかな死」

「特に変えたいこともないし、現状維持でいい」。そう思うかもしれません。しかし、覚えておいてほしい。この世界に「現状維持」なんてものは存在しません。何もしなければ、ただ他人の都合や社会の波に流されていくだけ。それは維持ではなく、確実に「後退」です。

ある調査では、日本の若手社員の管理職への昇進意欲は、他国と比較して著しく低いというデータが出ています。これを「若者の野心がなくなった」と嘆くのは簡単です。しかし問題の本質は、自分のキャリアのハンドルを、自ら手放してしまっていることにあります。

野心、つまり「こうありたい」という意志を失うことは、人生の主体性を放棄するのと同じです。自分で決めない人生は、他人に決められる人生です。会社の都合、社会の常識、誰かが作った価値観のレールの上を、ただ運ばれていくだけの歯車になる。そこにあなた自身の人生はあるのでしょうか。それは、刺激も成長もない、ただ息をしているだけの「緩やかな死」と、何が違うというのでしょう。

小さな野心に火を灯せ

世界を変えるような壮大な野心は必要ありません。そんなものは、ごく一部の人間の役割です。私たちが持つべきなのは、もっと個人的で、ささやかな野心です。

心理学に「自己決定理論」というものがあります。人が幸福を感じるためには「自律性(自分で決める)」「有能感(できると感じる)」「関係性(人と繋がる)」の3つが重要だという考え方です。野心とは、まさにこの「自律性」と「有能感」の源泉です。

自分で目標を立て(自律性)、それを達成するために試行錯誤し、少しでも成長を実感する(有能感)。その繰り返しが、人生に張りを与え、日々を色鮮やかにするのです。どんなに小さくてもいい。「こうしたい」「こうなりたい」という小さな炎を、心の中に灯し続けること。それこそが、他人の価値観に消費されず、自分の人生を生きるための、唯一の方法なのですから。

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